骨太方針2020 —危機の克服、そして新しい未来へ—

  • 柳川 範之
  • 経済財政諮問会議議員
    東京大学大学院 経済学研究科 教授
  • 聞き手:内閣府大臣官房審議官 茨木 秀行

2020年7月、政府は「経済財政運営と改革の基本方針2020」(以下「骨太方針2020」)の閣議決定を行いました。骨太方針2020では、今般の新型コロナウイルス感染症拡大を受け、国民の生命・生活・雇用・事業を守り抜き、「新たな日常」を通じた「質」の高い経済社会を目指して、通常であれば10年掛かるような社会変革を一気に進めていくとの考えのもと、必要となる取組がまとめられています。

骨太方針2020の策定にむけては、経済財政財問会議で活発なご議論がなされました。今回は、経済財政諮問会議の民間議員のお一人である、東京大学大学院の柳川教授にお話をお伺いしました。

経済の現状認識、骨太方針2020の評価

画像:経済財政諮問会議議員 東京大学大学院 経済学研究科 教授 柳川 範之

—日本経済・世界経済の現状認識についてどのようにお考えでしょうか。また、骨太方針2020についての先生の評価をお聞かせ下さい。—

(柳川氏)新型コロナウイルス感染症(以下、「感染症」)の流行の中で世界経済は相当厳しい局面に入っているのは間違いないと思います。2つの意味で「厳しい」と考えています。一つは、非常に不確実性が高いという点です。この先どのくらいの時間が経てば収束に向かうのか、来月の状況も誰も正確には分かりません。大きな不確実性を世界全体が抱えているのは、世界的、歴史的に経験がない事態だと思います。もう一つは、明らかに大きな経済の収縮が起こったという点です。感染拡大防止のために日本でも緊急事態宣言の下での自粛がありましたし、世界ではより厳しい外出制限といった形で強制的に経済活動を止めざるを得ませんでした。これは非常に大きなインパクトを経済に与えていて、少しずつ元には戻ってきているものの、その影響はしばらく続くのではないか、ということで「厳しい」と考えます。

その一方で、これが大きな変革のきっかけとなり、世界が新しい経済環境の下で動いていくことになることが徐々に見えてきています。骨太方針2020に何度も出てくるデジタル化の動きはその典型ですし、例えばリモートワークはかなり世界的に普及してきました。「ニューノーマル」の定義は難しいですが、経済の状況変化をいかに日本経済のチャンスに変えていくかが、非常に重要だと思います。骨太方針2020は現在直面する課題への対処と、新しい経済構造への移行をチャンスにするための攻めの対策という両面からつくられたと理解しています。

「新たな日常」の実現

—「新たな日常」を実現していくために、どのような取組が鍵になるとお考えですか。また、「新たな日常」が実現された世界で、我々の生活や経済社会はどのように変わっていくと思われますか。—

(柳川氏)「新たな日常」を単純に感染防止対策のための日常とするのではなく、社会や経済の構造が変化する中でより豊かな形で活かしていく、そういう「新たな日常」が必要だと思います。変化をチャンスに変えていく姿勢やその実現に向けた政策や制度の変更も必要になってきます。骨太方針2020は、それらを見据えて書かれており、これをきっちり実現させていく。政策の方向性だけではなく、どう実現させるかがより重要になっていて、今回の骨太でも重要なポイントは、いかに書かれたことを実現していくかということだと思っています。

「新たな日常」の実現のための5つの柱の中でも1つ目のデジタル化が非常に大きな鍵だと思います。これも守りと攻めの部分があり、守りの部分でいえば、行政サービスや給付金の支給について、もう少しデジタル化されていれば、より円滑にできたのではないか、デジタル化が期待より遅れていると多くの国民が感じたというのが率直な現状だと思います。プライバシーやデータ漏洩への対処をしつつ、遅れていた部分の政策を前へ進め、国民が期待しているような利便性を確保する。そのために政策を進めていく必要があり、実現が5年後、10年後では国民の納得感が得られないので、スピード感をもって利便性の高いデジタル化を実現することが鍵になってきていると考えます。

攻めの部分では、デジタル化を通じて日本経済が新たなチャンスをつかみ、経済成長を高める大きな柱になってくると思います。少子高齢化が進む日本では、いかに人手をあまり使わずにより付加価値を高め、より稼げる国にするかが問われています。それがなければ十分な社会保障は難しくなり、国全体の豊かさも実感できなくなります。少子高齢化の下だからこそ、デジタル化を大きな成長のエンジンにしていくことが必要です。そのための政策の具体的な方針が骨太方針2020には盛り込まれています。ただし、単に技術を導入すれば良いという話ではなく、政策の在り方や働き方改革なども含めて、社会全体の仕組を一緒になって変えていくことが必要です。

デジタルニューディール

—日本でデジタル化の進展が遅れているのはなぜでしょうか。また、これまでうまく進んで来なかった要因にどのように対処すべきと思われますか。—

(柳川氏)個人的な意見ですが、大きな要因は2つあったと思います。一つは、国民全体が本当の意味でデジタル化をどこまで強く望んでいたのかという点です。プライバシーの問題やデータを盗まれる等の心配と比べると、デジタル化を望む気持ちは相対的に弱かったかもしれません。極端に言えば、情報が漏れるくらいなら、自分の情報はデジタル化されなくて良いという人は多いかもしれない。特に個人情報や行政関係の情報のデジタル化の本当のメリットを、多くの方が実感できていなかったのではないか。行政側はデジタル化のメリットや重要性を国民にきちんと伝えておくべきだったのではないか。例えば、マイナンバーカードを取って下さいとは伝えていても、それを取るメリットや取らないデメリットを感じられるような情報提供ではなかったという部分があるのではないかというのが1つ目です。

2つ目は、行政の中でも情報のデジタル化は進んでいたものの、データの連携や統合した上での活用という意味でのデジタル化はできていなかったと思います。それは技術の問題というより、組織や行政の仕組の問題ではないかと考えています。例えば、各自治体は頑張って仕様を決めて技術を取り入れるが、全体でみるとうまく使える形での連携になっていなかった。半分は標準化すべきという話だし、半分は行政の仕組の問題です。企業の中でのデジタル化が、組織の構造や権限の配分も変えなくてはインパクトを持ちにくいというのと同様だと思います。デジタル化を真に進めるために、例えば、地方分権の在り方も含めて考えるといった踏み込んだ議論については、少し不足していたのではないかと感じています。

働き方改革

—感染症拡大を受けテレワークを実施する方も増えており、デジタル化を進める中で働き方改革を進めていくことも大きな課題だと思います。骨太方針2020における働き方改革の取組への評価やその意義について、先生のお考えを教えて下さい。—

(柳川氏)技術革新がもたらした働き方の自由度は非常に大きいということは、みなさんが実感できたと思います。同じ場所に同じ時間に人が集まらなくても仕事のかなりの部分が成り立つことは、頭では多くの人が分かっていたとしても、なかなか実感できるものではありませんでした。在宅勤務の経験を通して、テクノロジーを使えば、リモート化して仕事が回る部分が相当あることが分かったということは大きいです。その自由度をいかに人々のより幸福な働き方や、より豊かな生活の実現に使っていくかということが問われています。

働き方が改善すれば、より付加価値の高い仕事が可能になるし、子育てや介護がしやすくなるはずです。それらを可能にすることが働き方改革の大きな枠組だと考えています。技術的に可能であっても、制度や規制がそれを阻む部分があります。せっかくの自由度を活かせるよう、人々が望む多様で新しい働き方を可能にするためにも規制や制度をもっと変えていかなければならない。ただ、難しい面は、働き方は規制や制度が全てを決めるわけではなく、人々の意識、社内ルールや文化といったものも変わる必要がある。法律や規制を変えるのと同時に人々の意識をどのように変えていくのか、という点も考える必要があります。

地方創生

—感染症拡大の影響で、以前より地方への移住に対する関心が高まりました。骨太方針2020でも、地方創生に向けた取組のキーワードとして「多核連携」が盛り込まれました。核となる都市・地域が全国にできることで、我が国の経済社会はどう変わっていくのか、またそのメリットについてどのようにお考えでしょうか。—

(柳川氏)感染症拡大で見えてきた技術革新の影響として、都市に集中して活動するのではなく、自分の生活しやすいところで活動することが、望ましい生活や経済活動であることに気付いてきたということがあります。それを日本全体の経済の流れにするキーワードが「多核連携」だと思います。東京への一極集中ではなく、各地域に活動を盛り上げていく「核」を複数、各地域につくるのが「多核」です。これまでも地方分権等様々な言い方をされてきましたが、これまでとの違いは「連携」の部分です。都市がバラバラに活動して大きな固まりをつくるのではなく、それぞれが連携しあって有機的に全体が盛り上がるのが、一つの目指すべきイメージだと考えています。

「つながっていく」というところで、私は少なくとも2つのポイントが重要と思います。一つ目は人の行き来です。感染症拡大の影響であまり行き来はできないですが、往来が自由な状況になれば、都市間を行き来することになります。東京だけでなく、九州や北海道の仕事もするというように、二地域居住・就労と言われているように各都市をゼロ・イチで決めるのではなく、例えば4:6、3:7といった形で各地域に関わっていく。そうすれば、地域どうしが連携しながら技術を活かしていくこともできます。

二つ目が情報です。スマートシティが一つの発展のイメージですが、情報が様々に連携していく。各地域内でのみ情報やデータを分析すると、経済学でいう規模の経済性が活かせません。一方で、例えば10地域のデータを集めれば非常に大きなデータとなり、情報の価値が高まります。情報の有効活用のため、連携を図ることがもっと出来るのではないでしょうか。

行政でも、各都市や地域が分権的に物事を進めることと、バラバラに行うことは違います。データは連携させ、お互いの知見を活用しながら、分権的に各地域で物事を決定していく地域間の新しい連携の形が出てくると思います。東京か地方か、分権化を進め情報は共有しないかなどのゼロ・イチの選択ではなく中間系を取り、ウィン・ウィンの関係をつくっていくことが「多核連携」だと考えています。

人材・イノベーションへの投資強化

—デジタル化を支えるのはイノベーションや人材の育成だと思います。経済財政諮問会議の民間議員、そして研究者・教育者としてのお立場から、教育改革やイノベーション加速の取組についてお考えをお聞かせ下さい。—

(柳川氏)イノベーションは人が生み出すものですので、どう人材を育てていくか、教育するかが圧倒的に重要です。個人的には、学校教育と就職後のスキルアップをあまり区別しない方が良いと思っていて、いわゆるリカレント教育ですが、社会人になってからも必要な能力を身に付けていくこと、そのために大学や学校で学んだ方が良いのであれば活用するようなことが、人生100年時代と言われる中では重要だと思います。そういったところに政策的なリソースも使っていくことが、結局はイノベーションにつながっていくと思います。

また、デジタル化やデータ解析、AIといった分野で圧倒的にイノベーションが起きている。そういった分野での育成も重要です。日本は世界的にみてその部分の教育が弱かったように思いますので、そこに大きな伸びしろがあるならば、そういった分野に強いSTEAM人材の育成にしっかりと取り組むことが必要です。技術革新の時代は、科学技術に対するイノベーションに投資することのリターンが大きい。単純に金銭的な意味ではなく、社会全体として大きい意義があり重要視すべきです。

包摂的社会の実現

—デジタル化が進み感染症拡大の影響がみられる中で、国民が誰も取り残されないような社会を実現するための政策も求められていると思います。そのような社会を実現することの意義やどのような政策が重要かという点について、先生のお考えをお聞かせ下さい。—

(柳川氏)感染症の拡大によって、この問題は大きくクローズアップされた側面があると思います。感染症の拡大では、弱者と言われる方に相対的にダメージが起きやすかった。高齢の方は重症化する確率は高いです。また、サービス業は自粛をせざるを得なくなり、飲食業、観光業、エンターテインメント産業といった日本経済の大きな下支えとなっていた産業で活動が難しくなりましたが、そこは非正規の方、学生やアルバイトにより回っていた部分が大きいです。そうした産業で活動ができず、給与が支払われない状況は、下支えしてきた方々が多大なダメージを受け、これは非常に残念な事態になっています。

この議論には、2つの側面があります。一つは感染症の影響です。もう一つは、情報技術やAIの発達による所得分布の二極化という点です。単純作業を行う低賃金の人たちがAIや自動化に取って代わられる可能性がある一方、デジタル分野で非常にクリエイティブな方は巨万の富を得ており、貧富の格差を拡大している面があると言われています。そこに、感染症拡大が起こり、低所得の方には二重のショックが起こったということだと思います。

この問題をどう社会として支え、より充実した活動ができるようにしていくのかは大きな課題であるので、骨太でも取り上げたというのは重要なことだと思います。その基本は、リカレント教育や就業機会の確保など、より充実した活動ができるよう新たなチャンスを増やすことです。資源に乏しい日本では、少子高齢化が進む中では、みんなが働いて支え合い経済社会を回していくことが基本になります。そのためには、本来働きたいと思っている人、より充実した働き方をしたいと思っている人がその機会を得られることが何より大事です。機会が巡ってきた時に、必要となるスキルを身に付けられるようにすべきです。また就職氷河期世代のように、スキルの問題ではなく、単純に機会に恵まれなかったということであれば、機会を増やすことが重要です。

適切なマッチングも重要ですが、マッチングはそのままではなかなかうまくいきません。本当にスキルがあっても、その仕事に自分のスキルをアジャストするトレーニングは必要です。日本は同じ会社で、終身雇用で働き続けることを基本としてきたため、トレーニングにより新しい職場や仕事環境に合わせていくことの必要性やトレーニングを誰がやるべきかという議論は少なかったと思います。このような新しい職場や環境にアジャストする訓練がうまく進むようになるだけで、良い形でのマッチングが進んでいくと思いますので、政策的にももう少し注力すべきであると考えています。

自由貿易の維持

—感染症拡大を受け、国家間対立や一国主義、反グローバル化の傾向が世界的に強まりつつありますが、日本は国際社会の中でどのような方向性を目指すべきだと思われますか。—

(柳川氏)今は国際的には少し分断化の傾向があり、様々な国家間の対立が見えている部分があると思います。そのような状況だからこそ、日本は国際的な協調や協力のリーダーシップを取っていくべきですし、取れる立場にあると思います。日本は、世界的に見れば大きなプレゼンスを持っており、また、日本のように長期政権の中で政治的安定性を持ってきた国も珍しいです。感染症拡大で世界が混乱している中だからこそ、日本のような国がリーダーシップを発揮し、世界あるいはアジアのまとめ役になって欲しいと思っている国は多く、その期待には応えていくべきなのではないでしょうか。それは倫理観の問題だけでなく、日本経済の活性化にもつながると思います。

日本はもともと大きな資源があるわけでもないため、世界とつながることで経済を発展させてきた国です。その点は今後も変わらないですし、ますますそのようになると思います。世界経済とつながり、貿易を行ってこそ日本経済は回っていくのだとすると、日本が積極的に国際的な協力体制や自由貿易体制をつくることで、日本と世界、両方が潤うことにつながります。その側面から出来ることは多くあると思います。

経済政策と財政健全化

—現在の感染症拡大から国民の生活・雇用・事業を守っていくための対応は必要ですが、一方で財政健全化も重要です。財政の健全化について、中長期的な観点も含めてどのように進めていくべきだとお考えですか。—

(柳川氏)やはり短期的には今は、支援すべきところには支援をして経済を回していくことが何よりも重要です。政府支出がある程度大きくなるのは仕方がないことかと思います。しかし、それをずっと続けると結局、財政の健全化が失われ、将来世代にしわ寄せがいきます。政策の自由度が狭まると、将来大きな危機が発生した際に、十分に財政支出を拡大させる余地がないことになりかねません。そのため、将来世代が必要な活動を行えるようにするためには財政健全化が不可欠ですし、安定的な財政構造をつくり、将来への安心感を生み出すことが、現在の消費や投資といった経済活動につながると思います。

今すぐどう、ということでなくてもよいのですが、中長期にわたりどう財政健全化を確保していくのか、どう政府全体の歳入と歳出のバランスをとっていくかのプラン、どういうものを目指しているかの大まかなプランをしっかり示していくことが大事になっていきます。しっかりとしたプランがあることが見える化されることが、現在及び将来の安心感につながります。感染症が広がりを見せる中で将来のプランといっても不確実性が高く、決め打ちはできませんが、そのような中でも健全化を確保できるような道筋をつくりプランとして掲げていくことは重要だと思います。

(本インタビューは、令和2年8月4日(火)に行いました。)

画像:インタビューの様子