賃金と物価がともに上昇していく経済の実現に向けて

  • 山田 知明
  • 明治大学商学部 教授
  • 聞き手:内閣府政策統括官(経済財政分析担当)付参事官(総括担当) 水田 豊

2022年7月、政府は「令和4年度年次経済財政報告」、いわゆる経済財政白書を公表しました。白書では、ウィズコロナ下のマクロ経済動向、労働力の確保と質の向上に向けた課題、成長力拡大に向けた投資の課題について分析しています。今回は、内閣府経済社会総合研究所にも在籍されている、家計の消費行動や社会保障制度の研究がご専門である山田知明明治大学教授にお話を伺いました。

ウィズコロナ下での経済状況について

画像:明治大学商学部 教授 山田 知明

―コロナ下での経済動向を振り返ってどのように評価されていますでしょうか。年齢別に消費をみると、若者はコロナ前の水準を超える一方、高齢者の方々は十分に戻っていません。また、団体旅行と企業の出張には慎重さが残っています。消費がさらに力強さを増していく上で、何がポイントだとお考えでしょうか。―

(山田氏)印象としては、思ったほど悪くならなかったというところです。2020年の3月頃からヨーロッパはロックダウンを始めましたし、同年5月には日本もかなり強い行動制限を導入して、その当時は未曾有の事態になるのではないかという印象でした。結果的にみると、リーマンショック時と比較したらそんなに押し下げられていません。過去の不況と比較可能なレベルといったところでしょうか。もちろん、産業によって影響は異なりますが、全体的なGDPの押し下げ幅はそこまでではなかったという印象です。

出張についてはオンライン会議で済むようになったという部分があります。ただ、最近はアメリカ等でもやはり対面のほうがいいから来てほしいと言っている企業もあるので、日本でも戻っていくのかもしれないですが、どうなるかわかりません。やはり、対面でなくてもいい仕事が割とあったということなのでしょう。あと、高齢者のサービス支出は、平時は旅行が多いです。その分が、今回は貯金に回ったかもしれません。ただ、何らかの形で代替が進んでいて、例えば、耐久消費財を買ったのでそれほど消費が減らなかったとか、細かく見ていくと面白いかもしれません。

消費意欲がコロナ後で特別変わったわけではないので、賃金を長期的に上げていくことがやはり本質的な解決方法です。今年1年、2年程度上がるとかではなくて、中長期的な視点で労働者の生産性を上げて、将来の展望が明るくなるようなことがないとやはり状況は変わらないのではないかなと思います。

賃金と物価、生産性との関係

―企業や賃金決定に当たって世間相場や企業業績を考慮する一方、物価や生産性の動向はほとんど考慮されていません。日本の賃金決定についてどのようにみておられますか。―

(山田氏)研究では、賃金から生産性を測ることが多いので、生産性も伸びていないという見方をしていたのですけれども、OECDの統計では割と日本は伸びている。なぜ生産性が高くなっているはずなのに賃金に反映されないのかなというところは、興味深いパズルだと思いました。その差がどこに行っているのかというのは分配面で気になります。一つの可能性は企業に行っているということでしょう。実際、企業の内部留保は長期間、ずっと増え続けており、そこに懸念があります。一般の人が貯金をする理由は、もちろん欲しいものがあるとか、家を買うとか、老後のためとかあるのですけれども、いざという時のためというのが一番多く、予備的貯蓄というのですけれども、企業も同じことをやっているのだと私は見ています。

経済理論的には、一時的に悪い状況であれば、お金を貸してもらうとか貯蓄を切り崩してしのげばよく、金融市場がしっかり機能すれば一時的なショックは緩和できます。ところが、バブル崩壊から結構経っていますが、いざという時には金融機関は貸してくれないという経験を今でも鮮明に覚えている人たちが企業の上層部に多く、多めにキャッシュを持っておかないと不安だというのが根強く残っているせいで、本来であればもっと投資や還元すればよいのに、キャッシュ等で内部留保を持っており、その辺は多分非効率になっているのではないでしょうか。

よく言えば健全なのでしょうけれども、悪く言うと効率が良くないお金の使い方をしていると言えます。金融市場でもっとできることがあるのではないかと思います。金融の専門家ではないので具体的な政策や規制について言えないのですけれども、銀行に担保主義が残っていたりして、改善する余地があるかもしれません。

―主要先進国では日本の実質GDPの伸びが一番低いですが、労働時間当たりの実質GDPの伸びはそこまで悪くない。ただ、水準で見ると日本は低い状況です。―

(山田氏)労働時間当たりの実質GDPがほかの国と同じぐらい上がっていますよというのは、一般の方の体感と合っていないと思います。海外に行くと日本より豊かに感じられることが多々あります。物価やインフレ率も高いのですが、その分、給料も高く、その中で豊かさを感じられるということは、変化に乏しい日本と対象的です。ただ、データとして見えないので、我々が自分たちの生活を過小評価し過ぎていたり、統計のとり方にも改善すべき点はあります。あと、労働時間に関しては労働者側にアンケートを取っている統計と企業側に聞いている統計で大分ずれていたりするので、その辺に原因があるのかもしれません。いわゆる無給労働がデータから適切に把握できていないということです。もちろん、労働の質という面で、サービスのクオリティーは明らかに日本のほうが他の国よりはるかに高いので、そういう部分を測れていないというのがあるのかもしれません。

研究者は最先端の論文や研究の流行りを意識しながら論文を書くことが特に若い頃は多いのですが、実は白書には論文のネタになる面白いことがたくさん掲載されています。その辺りは過小評価されていると思うので、研究者間でオープンクエスチョンとしてリストアップし、検討していくということが大事だと思います。

一番労働参加が進むというシナリオでも、労働供給は毎年減っていくと見られます。こういう状況の中で、労働の量を増やしていく上で課題があれば教えてください。―

(山田氏)労働者が減った場合、どれぐらいカバーすれば財政を維持できるかということをシミュレーションしているのですけれども、働ける方は全て働いていただかないと足りないというぐらい将来的には減ります。

女性は1回辞めた方はなかなか正規では戻ってこられない状況ですので、女性の生産性を下げないという観点から、まずは辞めないようにしていくのが重要なのではないでしょうか。間が空くとどうしても仕事を忘れてしまったり能力が低下したりして再雇用が難しくなるのではないかと思います。

また、現状は高齢者を採用し過ぎると若い人が損をする側面があるので、そこをきちんと解消しないと高齢者の活用には注意が必要です。

あとは、外国人労働者でしょうか。外国人労働者については、文化的な側面から強い反対があることは重々承知しているので、あまり気軽に大量にというわけにはいかないと思うのですけれども、まずハイスキルの労働者から受け入れていくようなことは考えられます。どちらかというと、企業は安価な労働力を大量に欲しがっているのかもしれませんが、日本人であろうと、海外の人であろうと、生産性が高い人同士がインタラクトして生産性を高めていくのは経済成長にとって極めて重要です。遠隔で何でもできそうなITの中心地ですら、いろいろなアイデアを持っている人が集まることによって、イノベーションが起こっていて、集積効果がかなり強いということが分かっています。優秀な人を集めてきて、そこからイノベーションを起こすためには、外国人の優秀な人を積極的に受け入れられるような枠組みが必要です。ハイスキルの労働者だったら、一般の方の反対も強くないのではないかと思われます。そういうところから事例をつくって、文化的にも馴染んでいくということは、1年や2年で終わるような話ではないですけれども、未来に向けて実効性が高いやり方だと思います。

財政健全化への課題

―経済成長あっての財政というのが岸田内閣の方針にもなっていますけれども、財政の健全化を考えていく上で大事だと考えられるのはどのようなことでしょうか。―

(山田氏)シミュレーションすると財政の状況はかなり悪く、減らすというよりは安定化させる経路を探し出すのが精一杯です。中長期的に一番厳しいのは利払いですけれども、ここしばらく続く赤字要因は医療と年金、特に医療です。もちろん、医療を削減するのは難しい部分はあるとは思うのですけれども、圧縮する部分もないとバランスを取るのは難しいです。

税をどうするのかというのは、現実的には組合せが必要になってくるのですけれども、よく、消費税率を上げて全部賄おうとしたら何%必要かという試算をするのですが、30%とか40%にしないとバランスを取れないという結果が出てきます。

消費税だけでやるべきだと言っているわけではなくて、ほかの税でも構わないのですけれども、全然足りないということは確実に言えます。世代間の公平性という意味では、今の高齢者の中には十分な蓄えを持っている人もかなりいるので、もう少し高齢者に負担してもらってはどうかと思います。

消費税が望ましい理由の一つとしては、労働すなわち所得税にしてしまうと高齢者は負担しないということがあります。あるいはぜいたく品への課税の観点から、高齢者がよく使いそうな旅行などの支出にかけるということもあってもいいのかもしれません。世代間の再分配をして公平感を保つということが極めて重要だと思います。そうしないと若い人は増税に納得しないでしょう。

仮に債務残高対GDP比を安定させるためには、消費税で30%以上の税率が必要です。北欧などでは20%台があったりするので不可能な水準ではないのですけれども、その分、福祉が充実していたり、小さい国だったりして、非常に産業構造とかも違うので、単純にまねしづらいと思います。

労働移動の促進

―労働移動をどう促進していくかという点も大きな課題ですが、どのようにお考えですか。―

(山田氏)JILPT(労働政策研究・研修機構)の意識調査で、若い人に、一生その会社に勤めたいですかというアンケートを取ると、勤めたいと回答する割合が上昇しています。私は40代半ばなのですけれども、そういう考えは古いだろうと思っていたら、逆に、若い人は安定を求めているみたいで、大学生の安定化志向が高まってきています。少し前に悪い状況で放り出された上の世代を見て、不安というか、信用していないといった状況があり、安定志向はむしろ強まっているのでしょう。若い人はそんなことは気にしないで、転職上等と世界中で働けばいいではないかということも話すのですが。

やはり長い間景気の悪い状況下で育ったせいか、保守的な傾向が強まっているかもしれないです。もちろんチャレンジ精神がある学生は一定数いるのですけれども、増えている印象はありません。企業側の促しがあれば変わってくると思いますが、学生からすると、成功例がたくさん出てくると自分もやろうとなってくるのかもしれません。女性の働き方も同じで、成功モデルを分かりやすく出していくというのが重要だと思います。

白書では学び直しをすると賃金が上がるという分析が行われていますが、OFF-JTとか学び直しをしたおかげで給料が上がったり、条件がよくなったりしているのか、それとも、そういう意識の高い人は能力が高いのかというのを調べてみたい気持ちはあります。大学院等は学び直しの場の一つであるべきなのでしょうけれども、現状はあまりそういう機能を果たしていません。

大学院で学ぶ社会人が増えているというデータもありますが、定年に近い人が自分の人生をまとめるみたいな感じで修士論文を書いたりすることが結構あります。ビジネススクールは別かもしれませんが、働き盛りの人がキャリアアップのために来ているのとは大分違います。私の勤務先の社会人入試は高齢者の方が多いです。もちろん、それはそれで人生を豊かにして良いのですけれども、生産性を上げるためにという感じではないですね。

企業側がPh.D.を持っている人をどのように活用するかが分かってないと、あるいは、出世できるとか、給与が上がるとかはっきりしていないと労働者側は動かないと思います。企業側が欲してないのであれば、働き手側は学位を取得する意欲はわかないですよね。

―全国消費実態調査を使って、1994年と2019年を比べますと、全体的に所得分布が下降にシフトしており、再分配前のジニ係数も0.42から0.51に拡大しています。こうした動向について、どのように見ておられますか。―

(山田氏)全国消費実態調査を使って、年齢階層ごとの所得プロファイルを書いて見ると、1994年ぐらいが一番高くて、その後は基本的に下がってきています。海外の学会などで見せると奇妙に思われます。なぜなら、経済成長があるから徐々に上がっていくのが自然だからです。同じ年齢階層で平均値が下がってきていて、格差も問題なのですけれども、全体的に貧しくなっていることがはるかに大きな問題であります。あと、コホートで見ると若い世代のほうがより格差が大きくて平均が低いので、世代間の格差は徐々に広がってきています。資産で見ると貯蓄がゼロの世帯も結構増えてきているので、失業したり、病気になったりすると、自分でカバーできない、余裕のない世帯が増えてきています。

こうした中で、お金がどこに行っているかが見えてこないのです。特定の誰かが大金持ちになって、それ以外の人が貧しくなっているといった分かりやすい構造があれば格差拡大だと言えるのですけれども、目に見えて豊かな人が出てきたという感じはあまりありません。少なくとも、アメリカみたいに大成功した一部の大金持ちが全部取っているということはなく、全体的に緩やかに貧しくなっているように見えます。これは非常にまずい状態なので、そこを何とかしていかなければということを今一番考えています。生産性を高めて賃金を上げていくという正攻法しかないのではないかなとは思います。

生産性を高めていく上で重要と考えるのは、若い人へのICT技術の教育です。最近、プログラミング教育とかを行ったりしていますが、その効果がどれぐらい出てくるのか見定める必要があります。実は、高齢者に比べて若い人がICT技術にすごく優れているわけでもありません。意外と若い人は腰が引けており、私の年代よりも使えないこともあります。スマホはできるけれども、パソコンはできないとか、自分の知っていることと仕事とか生産性とかに結びついていく技術には乖離があって、仕事をし始めて、WordもExcelもよく分からないので勉強し直すという人も多いです。勤務先の大学ですと、ゼミとか小単位で授業をやっているところはいいのですけれども、学生が多過ぎて、完全にカバーできていないのが現状です。

研究の方向性について

―白書で行っているような分析と学会で行われている研究との連携の在り方などについてお考えを教えてください。―

(山田氏)マクロ経済学のトレンドとしては、マイクロデータを使った研究が多くなっていて、研究者として生き残っていくためには、世界的な評価が高いところで論文を書いたり発表したりすることが求められますので、流行に乗るという必要があると思います。

一方で、最近、ミクロ経済学の研究者が、例えば、東大の小島武仁さんとか阪大の安田洋祐さんとかが盛んにやっているのが、経済学の社会実装というもので、面白いなと思いながら見ています。昔は数式や理論に集中する人が多かったのですけれども、今は、エンジニアリング的な感じで、経済学というツールを使って何か面白い仕事をしましょうという人が多く、シンパシーを感じます。ミクロ経済学では機械学習等のスキルを使いながら、いろいろビジネスで使えることと結びつけようという動きがあります。マクロ経済学でも、半分社会貢献かつ半分マクロ経済学の社会実装という形で、政策科学的なところでもっとできる部分もあるかもしれません。

(本インタビューは、令和4年8月5日(金)に行いました。)

画像:インタビューの様子