SNA基準改定と今後の課題

  • 塩路 悦朗
  • 一橋大学経済学研究科 教授
  • 聞き手:内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官 長谷川 秀司

国民経済計算(SNA)は2020年12月の7-9月期2次QEにおける支出系列の公表値から「2015年基準改定」を踏まえた計数に改定を行い、フロー編、ストック編の公表を行いました。

今回は、このSNA基準改定と新型コロナ禍での経済動向、SNAの活用方法を含めた今後の課題について、塩路悦朗 一橋大学経済学研究科教授にお話を伺いました。

基準改定の注目点

画像:一橋大学経済学研究科 教授 塩路 悦朗
(塩路教授)

―今回の基準改定では、1構造統計の反映によるベンチマークの変更、2国際基準(2008SNA)への対応、3民泊等新分野の取り込みなど経済活動の適切な把握、の3つを柱に改定を行いました。今回の基準改定に対する先生の注目点はどこでしょうか。―

(塩路氏)研究者として自分もマクロ統計を使っていますし、最近は学術誌の編集委員なども務めています。そうした立場からしますと、もしマクロ経済統計に対する不信感が広まってしまったら大変困ったことになります。言うまでもなく、どんなにすばらしい理論をつくっても、その土台となるマクロ経済統計がしっかりしていなければ、砂上の楼閣になってしまいます。今回の改定で、厚生労働省の毎月勤労統計において統計処理が適切でなかったという問題に対して、最終的な修正をしていただいたということを本当に歓迎しております。日本のマクロ経済統計を使った研究全般に対して、何か信用度が落ちるかのようなイメージを広く持たれてしまってはその損失は測りありません。今回の改定は非常に重要な進展であったというように思います。

改定の柱については3つとも重要だと思いますが、リフォームやリニューアルの扱いについては実は当初、それ程大きな変更ではないのかなと思っていました。しかし、GDPという大きな括りで見れば確かにそれほど大きな額ではありませんが、例えば住宅投資といった、項目別のレベルまで降りて行けば、結構大きな影響が出るのだなというのが分かりました。これには目からうろこが落ちた思いがしました。やはりデータの扱いはおろそかにできないなというのを改めて感じました。住宅投資は景気動向を把握する上でも一大指標ですから、余計にその思いを強くしました。

―基準改定のプロセスで発生した今回の新型コロナ禍は試練だったと感じています。例えば、QEでは季節調整値を推計するために、足元のデータを織り込んで季調をかけなおしますので、これによって季節パターンの経時的な変化を反映していくのですが、足元の大きな変動をどう扱うかが非常に難しかった点です。―

(塩路氏)今回のQEの推計については、いつも以上に大分苦労されているなというのは感じました。季節調整については、コロナの中でもみんなが気づかないうちに徐々にいろいろ季節性が変わっているということはあるのかもしれませんね。ただ、コロナの感染拡大・収束の波と、それに対応するために打たれた様々な政策の影響で、データのパターンが非常に不規則になっています。ですから、例えば今年の3月が悪かったから来年も3月は悪いだろうということにはならないのだと思います。日本がコロナ禍にあった時期をすべて季節要因を抽出する対象から外すことによって見逃してしまうようなことも、ひょっとしたらあるのかもしれません。しかし基本的な姿勢としては、季節調整をかけ過ぎて変なバイアスが生じるくらいだったら、コロナ禍中に季節性がどう変わっていたかなんて分からないよねというくらいの立場で臨んだほうがいいのかなという印象です。

新型コロナ禍での経済の現状・見通し

画像:内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官 長谷川 秀司
(長谷川総括政策研究官)

―新型コロナの政府への影響は、当初、一時的な供給側のショックと思っていましたが、時間が経つにつれそうでもなさそうだといったことを含めいろいろな評価があります。新型コロナ禍での経済の現状・見通しについてどのようにご覧になっていますか。―

(塩路氏)基本的には部門間ショック(sectoral shock)だと思っています。一番分かりやすいのは、このところ、家族みんなでレストランに行って食事を楽しむという人はめっきり減っています。しかしこれは、人々が食事をやめたのかというと、そうではないわけです。その分、代わりに持ち帰りピザを食べるようになった、たとえて言えばそういうことだと思います。

一方で、ただの部門間ショックだったらプラスマイナスゼロになるかもしれないのですけれども、それに加えて将来に対する不安というのが大きくあります。企業は設備投資を控えていますし、家計も所得を貯蓄に回そうとしています。そういうところは、マクロショックなのかなというように思っています。

ただ、基本は部門間ショックとは言え、これまで見たこともないような規模の部門間ショックです。普通、景気循環であれば、もちろんどんなときにも部門による違いがないわけではないですけれども、大体みんな一緒に上がったり下がったりします。その中で部門独自の動きは大体キャンセルアウトされます。だから代表的なところを押さえておけば、あるいは先行指標の動きを押さえておけば、全体がこういう方向に行くだろうということがわかるというように了解されていたと思います。今回は、全体でマクロとしては確かに下がっているのですけれども、マクロショックである以上に部門間ショックであり、産業間はもちろん、同じ産業の中でもいろいろばらばらな動きをするようになっています。そこで無理に一部の指標だけを取り出して先を占おうとすることのリスクは高いのではと思います。

―これまでコロナ対策として様々な政策が実施されてきましたが、SNA上で扱う際に留意すべき事項などはありますでしょうか。―

(塩路氏)現金給付についてはもう既にいろいろな人が研究しており、私もその成果に注目しています。それがどのぐらい本当に消費に回ったのか、誰が消費に回して誰が回さなかったのかについては、じっくり検証する価値があると思います。

もう少し難しいのは、Go Toキャンペーンのようなものですね。経済振興策として短期的にプラスをもたらした面と、ひょっとすると人の動きを加速することで長期的なマイナスをもたらす面があるかも知れません。それぞれどの程度のプラス・マイナスがあったかというのはとても重要なテーマだと思います。ただ、こちらの方はより分析が難しいのかなというようには思います。

また、デフレーターの問題もあると思います。SNAは連鎖方式を導入しているので、本来なら比較的バイアスは小さいはずです。しかし、今まではみんなが喜んで旅行に行っていたのが、急に誰も行かなくなってしまうというような変化が数か月単位で生じてしまう世界においては、年ごとにウェイトを更新していても、問題は多分深刻なのではないかと危惧します。いろいろこれからも御苦労されると思います。

QEに関しては、新しいタイプの高頻度の情報を事実上活用するような動きもあるという印象を受けました。研究者でもそのような方向に進むべきだと主張される方が多いですし、それはそれで一つの歓迎すべき方向だとは思います。ただ、そうなってくると、例えば民間のシンクタンクで、このGDPを当てるのに会社の命運がかかっている、だから物すごいお金もかけるしマンパワーも投入するぞ、というようなところとの競合になってきます。そこで、政府としての比較優位はどこにあるのかという問題が出てくるのだろうと思うのです。

今後取り組むべき推計の内容

―国際的には、ポスト2008SNAの動きが始まっています。シェアリングエコノミーによるCtoCの取引拡大などデジタルエコノミーや、グローバリゼーションなどの動向を的確に捕捉することは、各国共通の課題になっています。SNAの設計・推計において、注目や期待されている点はありますでしょうか。―

(塩路氏)私は、SNAというのは、社会の全体像を写し取ることはできないのはもちろん、社会の一部である経済についてすら、ある一面を切り取るものにすぎないのだという割り切りが必要なのかと思います。

GDPが高ければいいなどというようにはマクロ経済学者も思っていません。GDPで測れるもの、測れないものがあるのを認識して、ほかの指標も動員して社会をいろいろな面から測りつつ、最終的にそれらをどう総合するかというのは人々の創意工夫に任せる、という立ち位置がいいのかなと思っています。

同時に、実際に生産が行われて人々が対価としてお金を払っているものの中で、捕捉しにくいものが出てきているというのは確かだと思います。そういった活動の計測精度を上げていくのは大事なことです。その一方で、無償サービスについては、それを重視している人たちの言っていることも理解はできます。ただ、やはりこれも怖いのは、頑張って過大推計してしまうことです。例えばFacebookなど生み出しているポジティブな価値というのは多分あるのでしょう。ただそういったポジティブな面だけをどんどん計上していってしまっていいのかということについては、私はやや懐疑的です。私は保守的過ぎるのかもしれませんが、むしろ過大推計を恐れる立場にあります。

SNAの活用方法

―SNAは、一国全体の経済の姿を表す体系となっています。先生は、マクロ経済の分析・研究、教科書のご執筆などの教育活動において、SNAやマクロ経済統計をどのようにご活用されているのでしょうか。―

(塩路氏)教育面では明らかに、GDPの概念とかSNAというのはマクロ経済学の基礎です。基礎をしっかり固めないでその上にきらびやかなお城だけ建てても仕方がないと思っています。私の書いた教科書もそうですし、授業でも、標準的なものよりは、データに関する議論に割くスペースとか時間は少し長めに取っていると思います。大体最初のGDPの話のところは二部構成にしています。前半では、そもそもGDPはどのような考え方でつくられているのか、というところから始めます。後半では、実際にはいろいろデータ収集上の限界もあるし、GDPを構成する2つの項目の間でどこで境界線を引いていいかよく分からない場合もあるよねという話をするというようにしています。

いきなり実際のSNAの表を見せるところから始めるというやり方もあると思います。それによって、この授業はすごく現実と接点があるなといって興味を持ってくれる人もいるでしょう。その反面、これはぐちゃぐちゃして分からないなという人もいると思います。私には、日本の経済学教育が、GDPや消費とは何か知らずに、IS-LM曲線をあちこち動かすのは得意だという人を大量生産してきたのではという反省もあります。そのように、主語が何か分からずに述語だけ色々いじっているようなことにおちいるのは避けたいと思っています。その意味で、SNAをちゃんと教えるということは非常に重要だと思っています。

統計全般の課題

―デジタルエコノミーやグローバリゼーションなどマクロ経済統計を取り巻く環境も大きく変化しています。今後のデータ提供や統計調査の在り方についてどのようにお考えでしょうか。―

(塩路氏)例えば、経済学者がクレジットカードの会社と組んで様々な情報を取ったりといった、新しいデータ収集のあり方が急激に発展しています。このようなこれまでの型にはまらない、非伝統的なデータを使うようになった背景は2つあると思います。1つ目は今までよりも安価で高速に取れる情報が増えたということです。2つ目は、今までのデータの取り方だと逃してしまうような、ネット上の取引であるとか、そういったものもカバーしていかなければいけないというニーズが高まったことです。この2つの意味において、そういった情報を活用していく、活用できる人材を育てていくというのはすごく大事なのだと思います。

一方、例えば全部Amazonなどから入手した情報を基に家計消費をつくっていればいいのかというと、それはそれで逃すものが多いのだと思うのです。日本は高齢化していますけれども、おじいちゃん、おばあちゃんは相変わらず現金で町の八百屋さんで買っているという実態もあって、みんながデジタル化しているわけではないのです。

ですから、例えばインターネットで起こっていることは全体のうちでどのくらいのものであって、全体の動きと、どういうときにどのぐらい乖離するのだろうかといったことを把握して、適切な補正をしなければいけないわけです。

確かにインターネットから情報は日次などの頻度で取れるのに対して、GDPなどのマクロの指標は四半期統計です。だからといって、それはもう要らないということにはならないのです。そうした中で、今までの伝統的なデータの取り方の価値というのは、担い手が少ない分、むしろ上がっているのかもしれません。そこで心配なのは、やはり、そういうことを担ってくれる人員の確保です。人材やノウハウなどのリソースが弱まってしまうと、幾らきれいなオフィスで一生懸命インターネットから秒速でデータを入手できたとしても、統計作成の基礎体力みたいなものが衰えてしまうとしたら、それは長期的には憂慮すべきことだと思っています。そういったところにもますますリソースを割かなければいけないということになると思います。

―統計作成をやっていて思うところですが、国勢統計の調査でもプライバシーが随分大きなハードルになったりするものですから、調査員さんが非常に苦労している。かといって、全部オンライン調査でよいかというと、御指摘のように基礎体力も落ちるし、やはり実態としても把握すべきなのに把握できない部分も増えてしまうのかなと思います。調査の設計というか体制というのは非常に重要な課題であると思います。―

(塩路氏)どんなに作成が大変になってもそこの基礎、土台のところを軽視することはできないだろうと思います。ネットでデータが取れるから安くできるのではないかと思わないほうがいいのかなと思います。

また、データ収集からデータ提供に話を移しますと、QEみたいなものを政府や中立的な立場の機関が出すということの意義はなくなったわけではないと思います。やはり民間の機関ですと自分に有利な情報の出し方をする誘惑にかられるのかもしれない。国民からの信認を得た公的な機関が中立的な立場でそういったものを出すということの意義は残るでしょう。ただその一方で、とにかく秒単位でどんどんデータを積み上げていって、一刻も早く、かつ正確に次のGDPの値を当てましょうというようなことに関しては、ひょっとすると民間の方に比較優位があるのかもしれないと思います。政府の方は、より信頼される立場でデータ作成のための材料を集めたり、民間経営者にじっくり話を聞いて経済の先行きについて識見を深めるといったことに関して、やはり比較優位はあると思います。そうして積み上げた多くの材料を、民間のデータ分析のために提供するという役割が、政府が自分自身でデータを分析するという機能以上に、今後より一層重要になるのではないでしょうか。

―経済分析を行う上で、「統計」は欠かせないものです。昨今の統計改革では、統計の作成・提供等に携わる人材の育成とともに、EBPMを推進する必要性が謳われています。この背景には、統計人材の量と質の両面が不足しているとの指摘がありますが、先生はどのようにお考えでしょうか。―

(塩路氏)つくる側、使う側ともに、充実させていくことは必要だというのは感じています。具体的な数値は手元にないですが、諸外国と比べて、最終的なGDPにつながっていく一連の流れに割いている人的なリソースが少ないのではないかということは感じています。

本当に、材料を集めるところから、GDPについての専門家を育てることが重要です。例えば、今回の在庫投資は何でこんなに振れたんですかねと聞いたときに、それはこうだよと説明できる人が以前はもっといたような気がしています。そういうプロフェッショナルをもう少し中で育てるということは重要だと思います。統計に携わる全体の人数を充実させていくということが重要です。

同時に、そうした統計のプロフェッショナルとの交流は我々アカデミアにとっても非常に有益だと思っています。同時に、大学教員にも、GDP作成部局に身を置くことによって貢献できる人や、さらにはその後の研究にも生かせるというような人たちもいるかもしれません。政府の中でもっと多くの優れた人材を育てていくことは重要なのですが、中だけで完結するのではなくて、実業界でもデータに興味のある人たち、あるいは民間研究機関であるとか、アカデミアの世界と交流することによって、それまで培ってきた統計に関する識見を生かして、学会のほうにも貢献してもらえるといいなと思います。

(本インタビューは、令和3年2月9日(火)に行いました。)