令和6年度年次経済財政報告から 家計消費・貯蓄の動向とストックを巡る課題

宇南山 卓
京都大学経済研究所 教授


2024年8月、内閣府は「令和6年度経済財政白書」を公表しました。今回扱ったテーマのうち、家計部門の消費・貯蓄、金融資産や住宅等ストックを巡る課題について、家計行動分析が御専門の京都大学経済研究所・宇南山卓教授にお話を伺いました。

消費と超過貯蓄の動向

(多田)本日は、宇南山先生の御専門である家計部門の動向について、経済財政白書の分析に基づきお話ができればと思います。まず、足下の消費動向についてお伺いします。白書では、コロナ禍で積み上がった超過貯蓄について、アメリカでは取り崩しが進み、個人消費を下支えしている一方、日本では取り崩しが限定的であることを指摘しています。こうした背景についてどうお考えでしょうか。

(宇南山教授)白書では、足下の所得や資産水準に基づく消費関数を用いて消費の理論値を計算し、これが現実の消費を上回っていたこと、また、過去の消費性向に基づいて得られる貯蓄と実際の貯蓄の差から超過貯蓄を求めています。このように消費水準の理論値を計算することは、現代経済学の枠組みで言うところの最適な消費とはやや異なっている点に注意が必要です。つまり、足下で増えた超過貯蓄がすぐに取り崩されると考えることの根拠は、明確ではないと考えます。現在の消費を規定する重要な決定要因の一つは将来についての予想であり、将来の明るい要素が見当たらない場合、足下で積みあがった資産が短期的取り崩されなかったとしても、さほど不思議ではありません。比較としてアメリカでの超過貯蓄の減少が観察されたとしていますが、アメリカではコロナ禍を乗り切ったという意識が強まり、将来へのビジョンが悲観から楽観に転じた影響も大きいのではないかと考えます。一方、日本では、コロナ禍明けに物価上昇が始まり、将来への明るいビジョンがなかなか見当たらない、という違いもあると思います。そういう意味では、消費の理論値を計算する際に何らかの将来に関するファクターを考慮することができれば、超過貯蓄の議論をより精緻にできると思います。

(多田)御指摘のとおり、将来の見通しが現在の消費に影響するという点は重要で、例えば勤労者世帯(現役世代)であれば、将来にわたりしっかり所得が伸びる展望が開けることが消費の活性化につながると考えられます。関連して、金融資産保有に係るアンケートでは、現役世代について、目標とする金融資産残高の分布がコロナ禍を経てより高い方にシフトしているのに対し、実際の保有残高はそうはなっていないようです。こうした点についてどうお考えですか。

(宇南山教授)コロナ禍において、コロナ関連経費を含めた医療費の増大をはじめ、いわば世代間の利害が一致しない状況が広く知られた結果ではないかと思います。若い世代は、社会保険料負担も影響して可処分所得が伸び悩む中で、自分たちが受け取る段階まで年金制度が維持できるのかという維持可能性に不安を持ち、明るい展望が持てずにいます。こういった給付・負担の構造が、コロナ禍を経て、特に若年層に将来の不安をもたらし、目標とする資産残高を増やしているのではないでしょうか。

(多田)家計調査で二人以上勤労者世帯の消費性向を見ると、コロナ禍前から低下傾向にあり、コロナ禍で大きく落ち込んだ後、若干上昇していますが、全体としてコロナ禍前水準よりは低下しています。一方、足下で、名目賃金の伸びが物価上昇率を上回るようになってきている中、恒常所得が増加していくとなる見通しが立てば、消費にも好影響が出てくるでしょうか。政策的なメッセージを含めてお願いします。

(宇南山教授)この点は、物価上昇が誰にどのような影響を与えるかを見ていかなければいけないと思います。一般的には、インフレは借金を抱えている人にはプラスなので、住宅ローンを抱えている世代にはプラスです。もちろん金利上昇ペース次第ですが、今のところは金利上昇が遅れているので。一方、高齢者の公的年金はマクロ経済スライドも加味するとインフレによりややマイナスの影響を受けます。この計算でいけば、やや若年世代に有利な移転が自然と発生し、若年世代の不安感を和らげることには貢献すると思います。さらに若年者を中心とした消費活性化には、現役世代、特に子育て世帯に対する重点的な資源配分が重要です。

高齢世帯の貯蓄をどう考えるか

(多田)次に、高齢世帯の貯蓄についてお伺いします。白書では、高齢世帯の超過貯蓄は緩やかに減少しているものの、所得階層ごとにばらつきが大きいことや、金融資産保有高について、高齢期までに貯蓄が積みあがっているが、その後取崩しが進んでいないこと等を指摘しています。こうした背景について、どうお考えでしょうか。

(宇南山教授)資産を分析するときには金融資産に注目することが多いと思います。しかし、「将来のための経済資源」という意味では、実物資産や人的資本、具体的には給与所得と年金、も資産の一種として考慮する必要があります。

 特に年金制度は、保険料というある意味で強制的な「貯蓄」をして、老後に取り崩す仕組みです。その年金資産を計算せずに、金融資産の動向だけに注目しているために、資産の取り崩しが進んでいないように見えるのだと思います。金融資産が高齢期で増減してないということは、逆に言うと、受給した年金をほぼ全額支出に回していると解釈することもできます。逆に、例えばアメリカで普及している401kのような確定拠出型民間年金は、家計の金融資産として計上されるので、アメリカ人は日本人と比べて資産をしっかり取り崩しているように見えることになります。国際比較をするときなど、こういった制度の違いを加味する必要があります。

(多田)高齢者の金融資産保有動機として、いわゆる長生きリスクへの備えを含めた予備的な目的や遺産を用意する目的などがありますが、こうした点はどうお考えでしょうか。

(宇南山教授)高齢者の遺産動機について詳しく見ていくと、金融資産よりは家つまり実物資産を残したいという人も多いようです。学術的にあまり研究が進んでいない分野ですが、相続税のデータを使えば何かわかるかもしれません。もっとも、相続税を納める日本人は富裕層に限られるため、平均的な日本人像がうまく描けるかは未知数なところもあります。

 予備的貯蓄については、日本の医療制度は、高齢期の自己負担も低く、高額療養費制度を含めセーフティネットも充実している中で、医療や介護が原因で生活が立ちいかなくなることは考えづらいわけです。その後の生活水準の維持も考慮して貯蓄をしている人もいるとは思いますが、そこまで多いとも思えない。

 最近私が考えているのは、行動経済学的な理由です。貯蓄を取り崩す、という行為自体に心理的な抵抗があるのではないかという仮説を持っています。これが正しいなら、保険料等の負担も増やし、同時に給付も増やせば、それはフローの所得となるので、貯蓄を取り崩すよりも抵抗感なく、消費に回るかもしれません。実際にやるのはなかなか難しく、また、世代間の移転とならないよう注意して制度設計しないといけませんが。

画像:宇南山教授

(多田)心理的抵抗感という意味では、先ほどの現役世代において、目標資産残高が増加する中で、超過貯蓄もあって積み上がった資産水準が一種の「参照点」となって、そこからの損失回避で取崩しが進みがたいという面もあるのではないかとも考えられます。

(宇南山教授)そうした小さな心理的コストが積み重なると、長期にわたって悪影響を及ぼす可能性は十分あると思います。

(多田)遺産に関連して、白書では、相続人・被相続人ともに高齢化しており、資産移転が高齢者から高齢者へのものに偏っている現状も確認しています。資金ニーズが大きいであろう子育て世代への資産移転の円滑化についてどうお考えでしょうか。

(宇南山教授)特定の目的の贈与、例えば教育資金の贈与などに絞って減税し、高齢者から若年層への資産移転を促進することは可能だと思いますし、すでにやっています。ただ、相対的に富裕層ほど恩恵があるため、再分配の観点からは必ずしも望ましいとは言えません。負担能力のある高齢者の負担を見直し、現役世代の負担を和らげるなど、マクロ的な制度を通じた対応が必要かと思います。

(多田)別の観点で、日本の個人金融資産は現預金に偏ってきましたが、足下では、NISA拡充や、物価上昇もあって、若年世代を中心に金融資産運用行動が変わりつつあるとみられます。この点についてコメントをお願いします。

(宇南山教授)そもそも、1980年代~90年代にかけては、個人がリスク資産を保有することは、アメリカですら一般的ではなかったわけです。株式の方が収益率が高いのに、みんな預金で資産を保有するのはなぜかという疑問は「エクイティプレミアムパズル」と呼ばれました。

 それに対し、市場へのアクセスがなかったのが原因とする論文が2000年前後には多く書かれました。アメリカなどでは個人がリスクをとって株式市場に参入するようになり、日本でも金融ビッグバンが起きました。しかし、日本はちょうどビッグバンが起きたころに金利がゼロ近傍になってしまった。そうなると、リスクをとったところで利回りは2%、3%くらいなので、誰もわざわざリスクをとろうとしないわけです。

 他方、多額の住宅ローンを借りること自体が高利回りの金融商品を買うことと同様の役割を果たしていたと考えることもできます。日本は変動金利を選ぶ家計が多く、これは長期的には当然リスキーですが、短期的には利払いを低く抑えられるという意味で、リスクをとって高利回りを得ていることになります。

 いずれにせよ、今後物価上昇率が高まり、金利のある世界になった暁には、特に若年層のリスク資産保有は進むでしょう。日本で主体となるのは個別株ではなく投資信託などでしょうが、こうした動きを後押しすること自体はとても良いことだと思います。

住宅ストックの活用に向けて

(多田)次に、住宅ストックの活用についてお伺いします。持家ニーズが小さい単身世帯の増加等の世帯構造の変化もあって、持家の新設着工戸数(フロー)は減少していますが、住宅ストックに着目すると、世帯数を上回る状況が続き、その差が拡大しています。この点について、白書では、既存住宅、つまり中古住宅の有効活用が重要と指摘し、近年、子育て世代の二人以上世帯では、低金利環境にあって、持家率が上昇する中で、不動産価格上昇もあって、より郊外の住宅取得が進むとともに、幅広い層で中古住宅の取得割合が上昇していると分析しています。こうした点も含め、先生なりの住宅市場の考え方、消費との関係についてコメントをお願いします。

(宇南山教授)やはり金利がどこまで上がるかによるかと思います。バブルの時は金利が6~7%と、今では考えられないような水準でした。ですから住宅ローンの額も当然少なく、住宅価格は年収の3~5倍が目安などと言われていました。今は、金利が下がったこともあり、6倍以上も普通です。

 金利が上がれば、同じ年収でも借入可能額が下がっていきます。そうなると、一つの可能性としては、住宅価格が調整され、都心の家の価格が下がる。ただ、金利も上がっているので、新しく家を買う人は同じような住宅コストを払うので影響はあまりありません。しかし、ある程度値上がり益を見越して家を買って住んでいた層は当てが外れるので、彼らの消費が冷え込むことになります。

 一方、もう一つの可能性としては、外国人を含め資産に余裕のある層が都心の不動産を買い続ける可能性です。この場合は、実需で家を買う人はより地方に、小さい家に住むようになる可能性がある。その場合は、地域的な消費の分布は変わるかもしれませんが、マクロのインパクトはそこまで大きくないかもしれません。いずれにせよ、金利上昇と資産価格の動向には少々リスクシナリオもあると思います。

(多田)中古住宅の流通を促すために必要な施策についても御見解をお聞かせください。

(宇南山教授)中古住宅の流通を促進するためには、何よりも透明性の向上が必要と思います。白書で触れられている両手仲介、つまり買い手と売り手の代理人が同一の場合、インセンティブがどうしても歪む恐れがあります。アメリカの研究によると、不動産業者が自分の家を売る場合、より長くマーケットに出し、より高い値段で売っているそうです。仲介業者が同一だと、利益相反の形で、市場が円滑に機能しない可能性があり、何らかの規制の改善が必要だと思います。

 また、日本の住宅政策の課題は、住宅ローン減税をふくめ、高機能の新築住宅への支援が多すぎることだと考えます。もっとストックを回していくことを前提にした住宅政策を進めるべきだと思います。

 関連して、政策立案のためには、リフォームや中古住宅取引についての統計も充実させる必要もあると思います。

高齢者雇用の促進に向けて

(多田)最後に、高齢者雇用についてお伺いします。先生の御研究では、退職後に消費水準が低下する「退職消費パズル」について、定年制度や退職一時金制度の影響もあって日本ではその影響があまり見られないとの分析がありました。

 白書の方では、最近、定年延長とともに、定年後の継続雇用に際し、賃金水準の低下幅が縮小してきていることを明らかにしています。また、企業が高齢者に求めるスキルとして、マネジメントや若年層への指導等が多いことを指摘しています。人口減少が継続し、高齢者の労働参加は引き続き重要である中、こうしたトレンドについてどうお考えでしょうか。

(宇南山教授)マネジメントができる高齢人材を高い給与を支払ってでも雇いたい、という動きは一時的な世代効果の可能性もあることに留意が必要と思います。これからマネジメント層になるのが、いわゆる就職氷河期世代ですが、彼らは採用が絞られたから人数が少ない。この不足を埋めるために、マネジメントができる高齢者を残したいと思っているだけかもしれません。今の売り手市場で就職した世代がマネジメント層になるころには、高齢のマネジメント人材は必要とされず、氷河期世代はまた恩恵を受けられない恐れがあります。

 これに対し、今の勤労高齢者は、マネジメント等、いわば比較的「やりがい」のある仕事を任され、高い給与をもらっているから消費が比較的堅調なのかもしれません。今の50代、40代半ばくらいが定年を迎えるころには、よいポジションがあまり残らず、高齢者の所得の減少、就業率の伸び悩みが生じる可能性には注意が必要です。

(多田)白書でも、就職氷河期で採用を絞るなどの結果、雇用者の年齢構成にバラツキが増している業種ほど、定年後の賃金低下幅が小さくなっている可能性を指摘しています。最後に、高齢者の就業意欲を阻害しない、あるいは後押しするための取組としては、どのようなものがあるでしょうか。

(宇南山教授)働くインセンティブは既に様々な形で付与されています。ある程度は、逆に働かないことに対してディスインセンティブをつける必要もあるかもしれません。年金制度の本来の趣旨は、予期せぬ長寿への保険です。であれば、健康寿命が延びる中で、長期的にはより長い期間働くことを前提とした年金・雇用制度へ移行することも検討の余地があると思います。特に定年制度は「退職時期を予期できる」という望ましい性質を持っており、制度としては残しつつ、健康寿命に合わせて調整すれば、それほど大きな問題は生じないと思います。

経済財政白書等への期待

(多田)最後に、経済財政白書を始め内閣府の経済分析に期待することをお聞かせください。

(宇南山教授)経済財政白書はとても重要なテーマに取り組んでおり、内容も興味深いものになっていると思います。一方、白書の性質上、短期~中期のスパンの分析が多くなりがちかと思うので、もう少し長いスパンの課題を分析していただければと思います。長期的な将来を見据えて、今取り組まなければならないことがわかれば、研究者としても指針になると思います。トピックとしては、今で言えば、金利のある経済に戻っていく中で何が起きるか、が重要な課題です。資産運用がよりシビアになったり、住宅ローン負担が増えたり、年金の重要性が増したりと、様々な分野への影響を分析することは意味があると思います。

(多田)様々な分野で大変参考になる御指摘をいただきました。本日はありがとうございました。

画像:宇南山教授と多田参事官

(聞き手:内閣府政策統括官(経済財政分析担当)付参事官(総括担当)多田 洋介)
(本インタビューは、令和6年9月27日(金)に行いました。所属・役職はインタビュー当時のものです。)