経済分析第191号経済分析第191号(特別編集号)
研究報告会と経済社会総合研究所の概要
(要旨)
(論文)
日本の二部料金的賃金設定ルール—名目賃金上昇の条件—
春闘で決定される定期賃金とボーナスを分割して、日本の低賃金上昇率の要因を考察した。労使交渉で重視される賃金設定の三要因(失業率など労働市場要因・インフレ率・企業収益など支払い要因)を説明変数として、98年以前とその後にデータを分割して推定した。98年以前の定期賃金は労働市場指標に敏感だが、98年以降は企業内部の労働保蔵の状況に影響されるようになった。さらにボーナスは利潤要因が重要だったが、98年以降は悪化した外部労働市場指標にも敏感となり、家計に移転されてきたレントシェアリングの分が消えた。これが賃金停滞の最大要因である。労働市場指標を重視するより、時間あたりの生産性を重視した推定式が有効となってきており、賃上げのマクロの指標として人員ベースでなく時間あたりの指標の重視が望まれる。
JEL Classification Number:E24, J52
Key Words:春闘 ボーナス、賃上げ
景気変動が賃金格差に与える影響
本研究の目的は、日本の労働市場における景気変動と賃金格差の関係を検証することである。まずは、日本の労働市場の動向をとらえている集計データ(賃金構造基本統計調査と毎月勤労統計調査)から景気変動と就業形態間(一般労働者とパートタイム労働者)の賃金格差の関係を時系列に確認する。そして、データで確認できた循環的な特性を描写するモデルを構築し、日本の労働市場のファクトと整合的になるようにカリブレートする。2セクターからなる労働市場を前提とした確率的サーチ・マッチングモデルにオン・ザ・ジョブ・サーチ(On-the-job-search)を導入することでパートタイム労働者から一般労働者への転職を可能にしたモデルを採用した。シミュレーションの結果、一般労働者とパートタイム労働者間の賃金格差は「循環的」な動きをし、景気回復時には賃金格差が拡大し、景気後退期には賃金格差は縮小することがわかった。
JEL Classification Number:E24, E32, J31, J64
Key Words:景気変動、賃金格差、サーチ・マッチングモデル
付加価値生産性と部門間労働配分
本研究は日本における部門間労働再配分がどの程度スムーズに行われてきたかを検証するものである。現代日本において雇用を拡大している高成長部門は、社会福祉分野に見られるようにその多くが政府の強い規制下にある。このため、伸縮的な賃金調整を通じてこれら部門へ効率的で充分な労働再配分が行われてこなかった可能性がある。本研究ではこの問題を都道府県別・職業別の有効求人倍率のダイナミクスを手掛かりに検証する。
本稿の前半では、同問題を理論的に考察するため、部門外との労働移動を考慮したサーチモデルが展開される。その結果、賃金が伸縮的に決定される場合には、部門外の労働需給のタイト化が当該部門の労働需給ひっ迫度の上昇へと長期的に波及することが示される。一方、部門内の賃金が硬直的な場合には、長期的にもそのような波及経路は遮断されてしまう。よってデータからそのような波及効果の強さを推定できれば、労働市場の統合と労働再配分の効率性の程度について類推できることになる。
以上のような考えに基づき、本稿の後半では都道府県別・職業別有効求人倍率の月次データを活用した実証分析が展開される。具体的には長期制約・短期制約を組み合わせたベクトル自己回帰(VAR)モデルの推定を通じ、部門内外の労働需給の変動に対しそれぞれの都道府県別・職業別労働需給ひっ迫度がどのように反応しているかを求める。その結果、販売や事務といった伝統型職業では全国的労働市場から個別市場への波及が起きていること、つまり理論モデルにおける伸縮賃金ケースに近いことが示される。それに対し社会福祉、看護、家庭生活支援といった成長型職業ではそうした波及からの隔離が発生していること、つまりモデルでいう硬直賃金ケースに近いことが示される。以上の結果は、現代日本で今後の成長が期待される分野で、労働再配分機能に阻害要因が存在する可能性を示唆している。
JEL Classification Number:J62、J21、E24
Key Words:長期・短期制約VAR、都道府県別・職業別有効求人倍率、部門間労働再配分、サーチモデル
持続的成長に向けての人的資本政策の役割
少子高齢化が進む中でも持続的成長を維持する手段として、一人一人の生産性を高める人的資本政策の役割に注目が集まっている。人的資本の蓄積は人生を通じて行われるもので、ライフサイクル初期の人的資本蓄積がのちの人的資本蓄積にも影響を与えることを近年の研究は強調している。これらの問題意識を背景として、本論文は主として日本における人的資本の蓄積と利用に関連する実証研究を概観する。概観の結果、ライフサイクルの様々な段階において人的資本蓄積機会の不平等が存在し、その不平等の大きさは主として家庭環境の違いに起因するが、教育政策も無視できない影響を与えることが明らかになった。また人的資本蓄積機会の不平等が所得の不平等に大きな影響を与えることも明らかになった。
JEL Classification Number:I24, I28, J24
Key Words:人的資本、所得、不平等
保育所整備と母親の就業率
労働市場政策としての保育所の整備は、母親の就業率を増加させる有力な手段とされてきた。たとえば、福井県では保育所の整備が特に進んでおり母親の就業率が高いことから、他県においても、保育所の整備を進めれば母親の就業率が上昇するといった議論がなされてきた。しかし、女性の就業に対する価値観や、女性の就業意欲自体も地域差が大きく、こうしたデータに現れにくい要因が保育所の整備と母親の就業率の双方に影響を与えている可能性がある。従って、保育所の整備が母親の就業率を押し上げるといった因果関係の存在は必ずしも明らかではない。本稿では、価値観や就業意欲といった観測されない要因の影響を避けるため、都道府県間の比較ではなく、都道府県内の変化に着目した。1990年から2010年までの国勢調査の公表数表を用いて、都道府県内の保育所定員率の変化が母親の就業率の変化に与える影響を考察した結果、平均的には、保育所定員率の上昇は母親の就業率に影響を与えていないことがわかった。これは、保育所の整備が進むことにより、三世代同居で見られる祖父母による保育が、保育所による保育に置き換わったためと考えられる。三世代同居比率が13.5%にまで低下した現在、保育所の整備が祖父母による保育を代替し続けるとは考えにくく、母親の就業率を上昇させる有力な手段である可能性は高いが、その効果を考察するうえでは私的保育手段との代替関係があることを明確に意識するべきだろう。
JEL Classification Number:J13, J21, J22
Key Words:保育所整備、女性就業率、核家族、三世代同居
育児休業給付金と女性の就業
本稿では、1995年と2001年の育児休業制度の改正が女性の就業継続に及ぼした効果について、Asai(2015)を取り上げて議論する。雇用保険から給付される育休給付金の支給は1995年から開始され、基本給付金と職場復帰給付金をあわせて、出産前平均賃金の25%が支給された。この給付金は2001年に引き上げられ、出産前賃金の40%が支払われた。育休給付金引き上げの恩恵をうけるために、もともと予定していた妊娠・出産の時期を遅らせることが困難であったため、これらの制度変更は母親の就業に対して外生であるとみなせるので、その政策効果を推定することが出来る。制度改正前に出産した女性を対照群、改正後に出産した女性を処置群とし、就業構造基本調査を用いて両者を比較した結果、育休給付金が母親の就業継続を上げたという証拠は得られなかった。育休給付金の引き上げが母親の就業継続を促進しなかった要因の一つには、育児休業後の子育てと就労の両立が難しいことが挙げられる。
JEL Classification Number:J13, J21, J22
Key Words:育児休業制度、育児休業給付金、女性就業率
中高年の就業意欲と実際の就業状況の決定要因に関する分析
本研究では、何歳まで働きたいかといった就業意欲について注目し、就業意欲がその後の就業継続につながっているかを厚生労働省「中高年者縦断調査」を用いて検証した。その結果以下の点がわかった。就業意欲については、専門的な職業についているほど意欲が高まる(長く働こうとする)一方で、同じ企業で20年以上勤めている人や大企業で勤めている人ほど就業意欲は低くなることが分かった。持家、住宅ローン、預貯金の効果も合わせて考えると、年金を含めた老後の生活費確保の容易さが就業意欲に影響をしている。
就業意欲は実際の就業継続にも影響を与え、その効果は「仕事をしたくない」と「可能な限り仕事をしたい」の間で就業継続率に2倍くらいの大きい効果があるといえる。またこの効果は、過去の就業状況や持家、住宅ローン、預貯金などをコントロールしてもみられる。
就業意欲を持っているにもかかわらず離職してしまう要因として健康の悪化が大きいことがわかった。
高齢者の労働供給を増やす施策として、年金など所得に影響を与える制度を見直すことも考えられるが、本研究からはそれだけでなく現役世代における専門性を意識するような施策が有効であると考えられる。
JEL Classification Number:J26, I10
Key Words:就業意欲、高齢者の労働供給、ハザードモデル
要介護の親と中高齢者の労働供給制約・収入減少
本研究では、中高齢者を分析対象とし、家族介護による就業抑制、労働時間や本人収入の減少について、厚生労働省「中高年者縦断調査」の個票データを用い、定量的に把握した。推計では、家族介護の就業抑制効果を正確に捉えるため、2つの内生性を考慮した。2つの内生性とは、家族介護の提供と就業の同時決定および家族介護の提供と家族介護を受ける要介護者との同居の同時決定である。
分析の結果、若い出生コーホートほど家族介護を提供する割合は高くなっており、たとえば1946年度生まれと比較し、1954年度生まれでは男性で6%、女性で8%家族介護を担う確率が有意に高くなっていること、
2つの内生性を考慮してもなお、親の要介護期間が1年長くなると、男女とも有意に就業確率を1%低下させること、一方
就業時間・日数に関しては、親の要介護発生と親に対する実際の家族介護提供のいずれも統計的・定量的に有意な影響を確認できず、仕事を続けるか家族介護を担うかは二者択一となっており、就業時間・日数では調整できていない可能性があること、
親の家族介護を担っている本人の収入は、男女とも6~8%低いこと、
親が要介護になることは、親との同居開始の契機であり同時決定となっていること、などが明らかになった。
長期的な労働供給制約を勘案すると、介護休業制度の拡充以上に、長時間労働是正や介護サービス拡充など、家族介護と仕事の両立を可能とする社会政策が重要であり、それは家族介護を担っている人々の高齢期の貧困リスク低減にもつながる。
JEL Classification Number:J26
Key Words:家族介護、内生性、労働供給
本号は、政府刊行物センター、官報販売所等にて刊行しております。
全文の構成
(エディトリアル)
日本の労働市場における賃金変動の変質と労働供給制約(PDF形式 680 KB)
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1
(論文)
第 部
第1章 日本の二部料金的賃金設定ルール —名目賃金上昇の条件—(PDF形式 2.2 MB)
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121.序論
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152.分析のステップ
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173.平準化の「存在」の検定
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184.賃金平準化の「範囲」とマクロ経験法則
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215.失業率と労働市場の状況
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256.生産物市場とデフレーターの状況
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287.企業収益と生産性の状況
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318.結語: 賃金設定ルールに向けて
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33参考文献
第2章 景気変動が賃金格差に与える影響(PDF形式 1.25 MB)
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371.はじめに
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392.データ
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453.モデル
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514.カリブレーション
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535.シミュレーション
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596.ディスカッション
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607.おわりに
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61参考文献
第3章 付加価値生産性と部門間労働配分(PDF形式 2.35 MB)
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651.はじめに
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672.研究の背景
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713.理論モデル
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774.データの概観
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815.長期・短期制約VARモデルの定式化
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846.実証分析の結果
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927.結論と今後の課題
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93参考文献
第 部
第4章 持続的成長に向けての人的資本政策の役割(PDF形式 815 KB)
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961.はじめに
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982.人的資本と成長
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993.人的資本の形成と労働市場における活用
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1134.人的資本と所得格差
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1165.結論
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118参考文献
第5章 保育所整備と母親の就業率(PDF形式 941 KB)
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1231.はじめに:論点と射程の整理
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1302.制度的与件と主な変数の概観
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1383.回帰分析
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1474.変化の兆し
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1485.終わりに:議論の射程の再整理
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149参考文献
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152付録
第6章 育児休業給付金と女性の就業(PDF形式 838 KB)
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1551.はじめに
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1562.育児休業制度の概観
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1573.分析の枠組み
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1604.分析結果
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1625.結論
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163参考文献
第7章 中高年の就業意欲と実際の就業状況の決定要因に関する分析(PDF形式 896 KB)
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1671.はじめに
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1682.使用するデータ
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1723.就業意欲に関する分析
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1764.実際の就業継続に関する分析
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1815.まとめとインプリケーション
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182参考文献
第8章 要介護の親と中高齢者の労働供給制約・収入減少(PDF形式 903 KB)
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1851.はじめに
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1872.先行研究
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1903.使用データ・分析枠組み
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1944.分析結果
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2025.結論
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203参考文献
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207附表
経済社会総合研究所の概要と研究報告会(PDF形式 561 KB)
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213